本多 忠刻(ほんだ ただとき)は、江戸時代初期の播磨姫路新田藩の初代藩主。播磨姫路藩の世子だったが早世したため、弟の本多政朝が世子となって第2代藩主となる。
慶長元年(1596年)4月14日、本多忠政(後の播磨姫路藩の初代藩主)の長男として生まれる。母は徳川家康の嫡男・松平信康と織田信長の長女・徳姫との間の次女・熊姫で、祖父は徳川四天王として名高い本多忠勝である。大坂夏の陣の後、徳川家康の孫娘で豊臣秀頼の正室だった千姫と婚姻し、千姫の化粧料として父・忠政とは別個に10万石を新地に与えられる。
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剣術を好み、その頃に天下無双の兵法者・宮本武蔵を迎えて師事し、家士をしてその流儀を学ばせた。また武蔵の養子・宮本三木之助を小姓として出仕させ、側近とした。
千姫との間には元和4年(1618年)に長女・勝姫、元和5年(1619年)には長男・本多幸千代が生まれたが、元和7年(1621年)に幸千代が4歳で早世し、忠刻も寛永3年(1626年)5月7日に結核のため死去した。享年31。宮本三木之助は忠刻の供をして殉死。
姫路藩の家督は弟の本多政朝が継いだ。
1596年(慶長元年)忠刻:生まれる(4月14日)
1616年(元和2年)千姫と婚姻(9月29日)
1617年(元和3年)10万石新封
1626年(寛永3年) 死去、享年31(5月7日)